+ 混沌より化し者 +


「本当にどうなっているんだ……」
 筆がかつんっと筆置きと触れ合った音を聞きながら後ろに倒れた。両手両足を投げ出して、大の字になって寝転ぶ。凝り固まった体の筋肉が少しずつほぐれていって、気持ちがいい。
「あー……疲れた」
 上じゃあ正月はゆったりと過ごすものなんだろう、きっと。寝正月なんて言葉があるくらいだし。最近は百貨店やスーパーとか、お店とかは福袋だーって売り出ししてるみたいだけど、数年前は正月はどの店もシャッター下ろしてたし。
 だけど、こっちでは違う。試験はないけれど仕事はどっさりある。人は生きて死ぬんだ。おぎゃあと死の底から泣いて産まれ、ぽっくりと生の底から笑って死ぬ。これはどんな時にも変わらない、無限の輪廻だ。
 ってな訳で、地獄には休みなんて良いものはない。休んだりしたら死者が行列になって、上に人が絶えてしまう。だから、休まずに仕事を……しなくちゃいけないんだけど、流石に限度ってもんがあると思うんだよ、俺は。部屋中に、歩く隙間さえない程に書類をどっさり置かれたりしたら目眩がすると思うんだよね。
「たかむー、今何してんだろ」
 有能な部下の顔を思い浮かべてため息をつく。本当に何してんだろ、暇してないかな、仕事もう終らせてないかな、こっち来て手伝ってくんないかなーなんてありえないことばかり考えてしまうくらいに疲れている。
 お年寄りが喉にお餅をつまらせることの多い正月から小正月の間までずっと毎年こんな感じだ。門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし、なーんて一休って人が詠んでるくらいだから、だんだん人は死に近づくってことでもあるし。まあ、昔は誕生日なんてものはなくて正月が来たら1歳増えたぞーってことにしてたからなんだろうけどさ。うーん、でも、なんかなあ。今年はちょっと違う。変なんだよ、もう小正月が過ぎて三日も経つのに、一向に減らない。
「何か起こってんのか?」
 俺が上にいない間に、何かが人の領域を侵そうと動いているのなら、人を守るために行かなくちゃならない。それが俺の本来やらなくてはならないことだから。
「閻魔に訊いてみるか」
 上体を起こして、畳に手をついて立ち上がろうとした時、外から見張りに立ってくれていた鬼の悲鳴にも似た叫び声が部屋の中まで入ってきて、俺はそのままの状態で固まった。
「ええい、離さんか! 我の邪魔をするでないわ!」
 だけど、聞き慣れた怒鳴り声がすぐにこっちまで来たから、何だ……と胸を撫で下ろした。
「蓮珠、おらぬのか! おるのだろう! 出てこんかー!」
 逃げたい。でも逃げたら被害が増大する。いや、その前にすることがある。書類の山を掻き分けて部屋の右壁に設置されている電話にかじりつく。受話器を手に取って、繋ぎの管制官に早口で用件を言う。俺の様子から何かを感じ取ってくれたのか、お待ちください! と気合の入った声で叫んでいた。
「退かんか、離さんか貴様ら! 我の前に立ちはだかる者は何人たりとも許さんぞ――」
 加熱してきた外の騒ぎに焦った俺は、
「蓮珠、どうした。私は今手一杯なのだから面倒事は後にしてくれ」
 受話器から聞こえてくる涼しげな声の主に思わず叫んでしまった。
「たかむー、助けて!」
「切る」
「わ、わーっ! それは止めて、本当に、ほんっとーに危ないんだってば! 今、なんかさぁ火生が俺の部屋の近くで暴れてるんだけど、どうにかしてくれない?!」
 受話器を両手で掴んで必死に訴えたら、たかむーがすぐに行くと冷静に答えてから電話を切った。あの冷静っぷり、いいね。見習いたいよ。でも、安心していいのかそうじゃないのか、分からなくなって不安だ。
「と、とにかくっ、たかむーが来れば大丈夫だ!」
 それまで耐えてくれよ鬼さん――とうぬうぬ唸りながら祈る。あまり火生が乱暴を働いてなければいいんだけど、期待出来ない奴だからなあ。
 とりあえず座って待とう、と文机の前に敷いていた座布団の上に腰かける。ぼーっとしていたら、ここしばらくの徹夜のせいか、急に眠気が襲ってきたから、とりあえず欠伸をしてみる。だけど、欠伸ってなもんはちょっと性質の悪い子で、一つでもしてしまったら自分がぬ眠いんだってことを教えてくる。そんなもんだから、俺はうとうとと舟を漕いでて、外の騒ぎが静かになってきていたのに全く気付いていなかった。
 それに気付いたのは、
「蓮珠!」
「へ? あ、た、かむー……じゃなくて、火生?」
 強引に部屋まで侵入してきた火生に肩を叩かれてからだった。
「お主、外出用の羽織はどこに置いておるのだ」
「は、羽織? 左側の壁に掛けといたはずだけど……何で?」
 やけに真剣な顔で問いかけてくる火生に首を傾げながらもあると思われる場所を差す。火生はよし分かったとか言って書類の山をざかざかと掻き分けて入って行った。凄い量だのうと呟きながらも壁の前まで辿り着いた火生は沿って歩いていって、紅色の羽織を掴んで出てきた。
「外は寒いからの、きちんと防寒せいよ」
 頭の上に落とされて、何が何だか分からないまま袖に手を通す。ぐだぐだ言われるのもなー、と思っての行動だったんだけど、火生が満足そうに頷いているからさらによく分からなくなってしまう。
「蓮珠、手を上げよ」
「手?」
「そうじゃ」
 色んなことが頭の中をぐるぐる回っているってのに、早う早うって急かしてくるもんだから、仕方なしに両手を挙げた。まるで警察官に捕まった犯罪者みたいな格好になっている俺を見た火生がよいしょと俺の胴体に腕を回してきた。
「火生? どうした?」
 行動も、行動の理由も、どっちも分からない。背をぽんぽんと叩いてみても反応が返ってこないものだから、凄くまいった。一体、どうしたんだろう。
「あー……あれか、寂しかったのか?」
 なんとなくそうかなーと思ったことを口に出して訊いてみてから、髪の毛をぐっしゃぐしゃにしてみる。うんうん、こいつってあれだけ大騒ぎばっかり起こすくせに以外と寂しがり屋なんだよな。
「よしよし、もう大丈夫だからなー」
 母親代わりを――父親でもいいけど、やっぱこういうのって母ちゃんにされた方が嬉しいだろ――してやろうと思ったら、急に体が浮いた。 「え、何」
 右肩に荷物みたいに担ぎ上げられて、腹が少し苦しい。頭が真っ白になってしまっていて、かけなくてはいけない言葉がすぐに浮かんでこない。
「お、おい! どこに連れてくつもりだ」
 まだ判子を押さなくちゃいけない書類が10畳の部屋半分以上あるっていうのに、そのまま外に出られたのに驚いた。
「か、火生さーん。俺の声聞こえてますかー?」
 ずかずかと進んでいく廊下には、火生に昏倒させられたっぽい鬼が寝転がっている。声をかけても、少々強く背中を叩いてみても、降ろしても説明もしてくれない。なんか……これは、危険な予感がする。
「もう十分担いだだろ、そろそろ降ろしてくれよ」
 諦めようかな、でも諦めたら面倒事に巻き込まれそうだし――と悩んでいた俺がため息をついたところで、やっと前から救世主様が来てくださった。
「火生様、それを何処に連れていくつもりです」
 長身のたかむーに睨み付けるように見下ろされて火生は面白くなさそうにむっと眉根を寄せた。
「お主には関係のないことよ。下がっておれ」
「蓮珠本人の了承がない限り私が下がる訳にはいきません。こんな奴でも一応私の上司ですから」
 当人を忘れて睨み合われているのをぼんやり見ている間に、ぽんとある事が浮かんできた。ぽんぽんと火生の左肩を叩くと、こっちに目線をくれる。腹が痛くて、肩に手を置いて起こしていた上体を伏せて、耳元に顔を寄せる。
「走れ」
「む?」
「走れよ。強行突破しろ。俺に用があるんだろ」
 睨み合ってる時間があるのかよ、とどうでもいい話ならあっちに付くぞという雰囲気を漂わせると、火生はうむと気合を入れなおした。
「ようく我につかまっておるのだぞ!」
 それに無言で返してたらたかむーが気付いたのか、口元を隠している扇が震えて眉間に皺が出来た。口が開かれる前に火生が走り出して、がくがくと視界が揺れる。
 火生が横を通り過ぎようとするのを防ぐためか、動いた手を見て、
「たかむー、お役目に行ってきます」
 卑怯な言葉を零してみた。
「蓮珠、貴様……!」
 それを聞いて驚いているようにも、心配しているようにも見える顔をしたたかむーが、少しでも安心すればと思って、笑みを浮かべてみる。
「ごめん、行ってくる。なるべく早く帰って来るから!」


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