「妖気が濃くなってきたのお」
「人の気配も薄くなってきたしな。一体どこに向かってるんだか」
着物の裾で口を覆う蓮珠の前を駆ける火生がさてのお……と呟く。鋭い眼光で辺りを見渡すが、まだそれらしい姿は見えていない。
「人が盗られた様子はないんじゃが」
「妖が隠れて暮らす時代になっても、人はそれから避ける力を損なうことはいないんだろう」
人が妖怪だ神だと恐れ敬い過ごしていたのは戦国時代辺りまでのことだ。江戸ともなると人ならざぬ者達は晴れた日の太陽のようによく笑う人間に押され、居場所を奪われ、人の影に住んだり、人里を離れてしまうようになった。それ故人はそれらを面白がる、または怖がりお化け屋敷や怪談などを作った。
しかし、そうなってからも仏門に入る者や己の心身を清め鍛える者は消え去らず、現存している。また、テレビ等で除霊だホラーハウスだと騒ぎ立てているのも、人が人ならざる者の気配だけを感じ取っている証だろう。
人は狡猾な生き物であるため、みすみす自分達の身を危険に晒す真似はしない。人が妖怪や神という存在を目にしてしまうことがあるとすれば、それは先にその存在がその人間を自分の目で確認しているからだろう。そうでもなければ、避けあっている者同士が出会うことは偶然でも起こらない限りまずあり得ることはない。
「いや、待て。待て、火生」
急に前進するのを止めると、風に吹かれて冷え切ったコンクリートがキリリと悲鳴を上げる。
「こっちだ!」
自分の動きに火生が気付けたかどうかも確かめず蓮珠は走り出した。む、と止まり数秒遅れで後を追い始めた火生に説明をせず飛ぶように走っていく姿に口を大きく開く。
「どうしたのだ!」
走った勢いのまま民家の壁を跳び越える。火生も同じように塀の隙間に足を引っかけて登り、家と塀の間を通る蓮珠を下に見ながら屋根に飛び移った。
「一体なんだというのだ、今度は」
差を縮め、横に並んで問うと蓮珠は簡潔な言葉で答えた。
「人がいる」
と。
「何……?」
「多量の妖気もだ。同じ処に集まってるぞ」
怪訝な顔をした火生の方にほんの僅かだが顔をやり、こう付け加えた。
急ぐぞ、うむ! という会話は無言で走ることを通して両人に伝わっていた。