+ 此れはこの世のことならず +



「たっだいまー!」
 今度は正規の順番で帰ってきた俺を出迎えたのは、仏頂面をした男――たかむー――だった。
「遅い。いつまでかかっておるのだ」
 井戸をよじ登ってきた俺の目の前で仁王立ちしてやがった。邪魔だっての!
「遅いって。一泊二日だったんだけど」
「私が遅いと言えば遅いのだ。口答えをするな」
「はいはい、分かりましたよ」
 本当、コイツといると飽きがこない。楽しい奴だよ、最低に。
「それで、どうだったのだ」
 腕を組んで、若干俺を見下ろしながら訊いてくるのに、俺はにやりと笑いながら井戸をよじ登る。
「どうもこうも、こういうことだよ」
 手を伸ばし、下にいる火生を引張り上げた。火生は懐かしむように周りを見渡す。目が合うと、たかむーが頭を下げ、丁寧に挨拶をしていた。酷いよなー、俺にはそんなのしたこともないくせにさ。
「火生、訊き忘れたことがあるんだけど、いいか?」
 良いぞ、と答えたので、遠慮なく訊いてみることにしてみた。
「何で逃げ出したんだ?」
 良いぞ、と答えたくせに火生は潰れた蛙のような声を出した。答えにくい質問のようだ。
「ですくわーく、とやらばかりなのだ。毎日毎日、書類ばかりで……人と、我が導かねばならない者と、会えなんだ。それが、苦しかったのだよ」
 黙って聴いていた俺は、隣に立っていたたかむーの肩をばんばん叩いた。可笑しかった。可笑しすぎた。叩かれた方は不機嫌そうに眉を寄せていたけれど。
「俺はその逆だ。見守らなくちゃいけない人に会いたくなかった。もう、これ以上傷つきたくない、身代わりなんかになりたくないって。此処に引きこもっていた」
 だから、と俺が振り向くと、火生は何じゃと首を傾げさせた。
「暇ならこっちに来てもいいから、もう今回みたいなことはするなよ」
 こんな面倒臭い事は一度で充分だ。火生はう、うむ、と頷きはした。
「お主は、鬼ではないのだな」
「鈍感。もっと早くに気付けよな。閻魔庁から来た、って言ったろーが」
 けらけらと笑うと、相手は俯いてすまん、と零した。
「地蔵菩薩……であったのか、お主は」
「まあな。だけど、訊いたんだからちゃんと名前で呼べよ。地蔵菩薩って言われんのさ、あんまり好きじゃないんだ。……小さい禿になりそうな気がするからさ」
 肩をすくめて、おどけた様子で言ってみたら火生だけじゃなく、たかむーまで小さく吹き出した。じろりと睨み付けるが、さらに笑うだけで意味がない。二人して失礼すぎるって。全く、酷い奴らだよなー。
「じゃ、泰広王によろしく言っといてくれ」
「うむ、承知した。お主の……」
「ん。言っとく」
 ひらりと手を振る。さっさと帰らないと、っていうか帰りたい。やっぱり、あっちにいるとその分疲労が溜まってしまうからな。
 たかむーが後ろから追ってきたので、少し歩を緩める。横に来たので顔を見てみると、案の定むっすりとした不機嫌そうな顔だった。
「なあ、一つだけお願いがあるんだけど」
 と言うと、少しだけ驚いた顔をする。
「面倒臭いことは却下するぞ。……何だ」
「そんなに面倒臭いことじゃない」
 それに笑う。俺が頼みたいことは全然、いや、あまり面倒臭くないからだ。
「一曲でいいから、笛を吹いてほしいんだ」
 横目で見たたかむーは、難しい顔をしていたけれど、いいだろ? と訊くと、無言で笛を受け取った。っていうか、奪われた。
 もう人には聞こえるはずもない音色が地獄に流れ出す。周りの鬼が気付き、手を合わせたり、頭を地につけたりしながら、その音に聞き入った。



 此れはこの世のことならず。
 冥土に住む者よ、かなしき我の守りし子らよ。
 我を冥土の父母と思ふて明け暮れ頼めよ。
 オン カカカ ビサンマーエイ ソワカ。
 帰命したてまつる。ハ・ハ・ハ、驚嘆すべき者に。幸あれ。

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