+ 混沌より化し者 +


「じゃあ、お兄ちゃんしっかりね!」
「はいはい」
「一昨日みたいに家の前で寝てちゃダメだからねっ!」
「ああもう分かってるっつの。さっさと行かないと遅刻すんぞ」
 振り払うように手を動かすと妹の祭ははーいっと大きく返事をして正門をくぐり抜けていった。先生に元気よく挨拶をする後姿を見送り、若い新人教師の男に頭を下げられたので、下げ返す。
 さて俺も講義に遅刻しないように大学に向かうか、と思った時、背後から両肩を叩かれた。
「おっはよーさん、岩蔵!」
「よっす、榊お兄ちゃん」
 振り返ると、天然がかった茶髪の大男と、しゅっとした感じのアイドル風イケメンが立っていた。
「おっす、伊藤に宇治」
「今日も祭ちゃんは可愛えなあ」
「やめろロリコン」
 歩き出すと後ろから大男の方――宇治――が追ってきて隣を歩いてくる。苦笑してないでこの馬鹿どうにかしてくれ……イケメン伊藤よ。
「ロリコンやない。ただの貧乳好きや」
「うるせえ」
 足で蹴るフリをしたら宇治はケラケラと笑いやがる。
「榊くんも好きやろ?」
「俺は手にしっくりくるサイズが好きだ」
 八歳も年の離れた妹を持つとロリコンなんてトンでもない。成長期の子どもに発情するとか、アホだとしか思えん。
「Dは確実にいるやんけ」
「……うるせえ」
 小学生も通る場所でなんつーこと言うんだ、このアホは。
「あ、榊くん今日家に行ってもええか? 祭ちゃんに会いたい」
「祭は空手の稽古の日だ」
「六時までやろ?」
「いいけど飯作れよ」
 えー! と叫ぶ宇治の頭を軽く叩く。
 一人だけ学科の違う伊藤が涼しげな顔で、
「ほな、またな」
 と離れていった。
 それに、宇治が昌紀は今日けえへんのか? と声をかける。
「今日はデートやから、また今度な。……岩蔵」
「何だよ」
 顔をじっと見られた俺は眉間に皺を寄せた。伊藤はイケメンだ。つまりイケメンってことは男だ。見つめられても嬉しくねえ。
「自分ビビりやねんから、あんま怖い所行ったりしたらアカンよ」
「……俺はガキか」
 笑った伊藤が鞄から携帯を取り出し、ボタンを操作して耳に当ててから駆けだす。
「榊くん、教室どこやったっけー?」
「いい加減覚えろよアホ!」
 疑念を感じる前に宇治の疑問がとんできた。坂を駆け上がっている伊藤の姿を確認することもなく、俺は宇治の後ろ襟を掴んで引っ張っていくことにしてしまった。
***
「あーっ、祭ちゃんに会うんめっちゃ楽しみやわー!」
「だからまだ帰ってきてねーって」
「ええねんええねん。待つんも楽しみの一つやから」
 俺がよくねーよ、とは思う。が、住んでるアパートの手前で追い払うわけにもいかねーし、後ろに付けたままにしておく。メゾンだけが薄ら残っている石のすぐ横を通って、花壇すらない庭に入る。
 見る奴が見たらおばけが出てきそうだ、と言いそうな位にボロくて古いアパート。家賃数千円の安さが魅力的すぎてここに住んでいるが、正直壁は薄いわ床は抜けるわで大変だ。
「うわっ」
アパートの上の方に視線をやった瞬間、チカッとしたものが見えて、目をつむる。夕陽の光が入らないように手で遮りながら、チカチカするものの正体を確かめる。
それは、太陽の光を浴びてさらに明るさを増した金髪だった。見た瞬間、俺はため息を吐く。
アパートの屋上に仁王立ちになっているヤンキー。隣室の高校生だ。赤のメッシュが入った金髪に、黒のジャージにチェーンをジャラジャラと付けている。
「火生!」
大声でソイツの名前を呼ぶと、ソイツは何じゃ? と言いたげな顔で下を見た。俺の姿が目に映ったのか、しかめっ面になる。珍しく大人しい様子でじっと見ていたかと思うと、すぐに元の位置に顔を戻した。
そんなに上ばっか見て何があるってんだ、コイツは。と、俺が少しイラッとしたところで、二階の角部屋のドアが開いた。
 出てきたのは、初めて見る奴だった。白いVネックシャツの上に黒いトレンチコートを羽織り、黒いスラックスを履いている。ツバのところにヘ音記号が白で描かれているワークキャップを被っているせいで影が出来ていて、顔がよく見えない。腰まである黒髪がソイツの背中で揺れる。
「じゃあ、先に行っているからな」
「うむ。気を付けての」
 火生に声をかけたってことは、アイツの知り合いか。……初めて見たぞ、アイツとまともに会話することができてる奴。
 カンカンと音を立てて、ソイツが階段を下りてくる。
「背ぇ低いけど、カッコええな」
「お前、よく見えんな」
「僕、視力ええねん」
 俺の後ろにいる宇治が自慢げに言ってきた。それに視力だけな、と返したら、すぐ近くまで来ていた相手が見られていることに気づいたのか、こっちを見た。
「今日は」
 微笑した。女から好まれそうに見えないでもない顔だが、この作り笑いには不快感があった。ただ変だと、そう思った。
「……アンタ」
 それに、この顔。薄い紫の目を、紅をつけたように赤い唇を、派手な着物がしっくりピッタリ合いそうな体を、俺はほんの少し前に見たような気がする。
「うちの隣に住んでる高校生のご親戚ですか?」
「え? ああ、はい。あ、いえ、俺は火生の……兄の蓮珠です。」
「は。あ、兄? ですか」
 思わず聞き返してしまう。相手は不思議そうな表情を作る。どうして疑うのか分からない、そんな意味が込められた顔だ。
「はい」
 似てないキョウダイだ。弟の目は吊り上っているが、兄の方は優しげな目をしている。
「君は、祭ちゃんのお兄さんかな?」
「岩蔵榊です。宜しくお願いします」
 手を出すと、相手は少し困ったような苦い表情になる。その表情の意味を考えようとする前に、また作り笑いをして、手を出してきた。
「こちらこそ」
 細い作りの手を握る。これにも違和感。
「それじゃあ、ごめんね。これから仕事なんだ」
「いえ、引き留めてしまってすみません」
 いってらっしゃいと言うと、少し照れたような顔でいってきます、と返してくれた。手を小さく振ってから前を向く。その背中に、やはり見覚えがある。
***
「ただいまー!」
 スニーカーを慌ただしく脱ぎ、洗面所に駆け込んでいく。すぐにうっすらと手や顔を水で濡らした妹が、ちゃぶ台でレポートを作成していた俺の隣に座ってきた。
「おかえり、祭」
「うん! お兄ちゃんもお帰りなさいっ」
 向こうで風呂に入ってきたのか、少し湿った髪をくしゃくしゃにしてやると、ニコニコと笑ってじゃれついてきた。
「祭ちゃん、お帰りー!」
 勝手に俺のエプロンをタンスから引き出して着やがった馬鹿が、備え付けの小さい台所から出てきた。顔を見ると、ウザい程の笑顔だ。たとえ、ただの子ども好きだったとしても、その笑顔は子どもからドン引きされるレベルにしか思えない。
「宇治さんこんばんは」
 まあ、うちの祭には全く効果がないんだけどな。好かれることも、ウザがられることもない。
「稽古後でお腹ペコペコやろうけど、もうちょい待っててなー」
「あ、祭手伝います!」
 っと、珍しい。宇治にとられた。タンスの前にたたんで置いてあったエプロンを着て行ってしまう。ウサギ柄のエプロンは祭にピッタリ似合っている。
 嫌いではなかったけど、違和感ばかりでどうもゆっくり休めなかった実家。そこから出て、このオンボロアパートでひとり暮らしを始めたのが大学に入学する少し前のことだ。母さんの血を見事に引き継いだ祭が、その三日後に身一つでやってきたのは想定外だった。
 七つも年が離れている祭は、母さんに空手と柔道の稽古をつけてもらいに毎週月・水・金・土曜日に実家に帰っている。けれど、俺はどうしても帰り辛かった。あの家は、俺にとって異質だとしか思えなかった。忙しい、という言い訳を何度してきたことか。
「お兄ちゃん、もうちょーっとだけ待っててねっ」
「祭ちゃんとアタシが頬が落ちちゃう程美味しい料理作っちゃうからねえー」
 俺は料理ができねーから、親父から料理の腕を磨かれた祭がいると助かる。それに、これはよく親父が言っていたことだけど、祭がいると部屋が明るくなる。けど、宇治は黙れ。それか、せめてカマ言葉はやめろ、カマ言葉は。
「あー、ハイハイ」
 だからきっと、俺は祭が来てくれたことに感謝をするべきなんだろう。言葉には出さなくても。


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