+ 混沌より化し者 +


 ヒュウヒュウと俺の周りを風が通り抜けていく。体をぶるっと震わせ、羽織っているコートの襟を上に引き上げる。あー寒ィ。
「……って、この公園」
 足が止まった。目線が一つの場所に釘付けになる。小さな住宅地の中の児童公園。シーソーが一つ、ブランコが二つ、ぐるぐる回る球体が一つ、パンダとクマ型の……イス? がそれぞれ一つずつだけある公園。今はもう夜中の十二時で、子どもは一人だっていやしねえ。
 だから、この公園が子どもに人気なのかは分からねー。俺が分かってんのは、この公園で、この時間帯に、ついこの間奇妙な目にあったってことだけだ。
 自分を追いかけてくる通常の二倍くらいのデカさをした日常用品。アレは夢じゃない。夢じゃなかった。その証拠は、目の前にある。
「今晩は」
 声をかけると、長い黒髪が背中で揺れた。暗い中、振り向いた相手の薄紫色の目だけが暗闇に明るく見える。
「祭ちゃんのお兄さん」
「榊です」
 もう一度名乗ると、ソイツは薄い笑い顔になった。
「今晩は」
 そう言うと、ソイツはブランコの周りにかけられている柵から離れて、ベンチの傍にある自動販売機の前まで歩いていく。
 首を捻りながらも何かを二本買い、戻ってきた。そしてはい、と俺に放り投げてくる。
「アチッ」
 何だろうと見てみると、女性の横顔が描かれたミルクティーだった。
「紅茶?」
 珍しい。コーヒーじゃなくて紅茶を俺に渡してくる奴がいるなんて。
「あれ? 珈琲よりも紅茶が好きなんじゃないかと思ったんだけど……違った?」
「や、好きです」
「そう。じゃあ、飲んで?」
「頂きます」
 プルトップを掴んで自分の方に引き寄せる。そうしたら、プシッと音をさせて缶が開いた。一口飲んでから、相手がブラックコーヒーの缶を目よりも少し上に持って眺めていることに気づいた。……まさか、開けられないんだろうか。
「開けましょうか?」
 声をかけると、相手は見返してきた。そんな風に言われるとは、想像してなかったような顔で。
「……うん。お願いできるかな?」
 だけど、すぐに子どものような顔で笑った。昼間見た笑顔よりもこっちの方が可愛くてずっといい。ブラックコーヒーのプルトップを開け、相手に渡す。
「ありがとう」
 凹凸のない白い喉を上下させて、匂いだけが良い、目がしぱしぱする飲み物を飲んでいく。それを見てから、もう一口紅茶を飲む。
「仕事帰りですか?」
「うん、そうだよ。君も?」
「はい」
 ついさっきまでアンタの弟だっていう奴と一緒に工事現場の整理してました。
「そっか。じゃあ早く帰って休まないと。祭ちゃんも心配しちゃうしね」
「……そうですね」
 相手が促す通りに公園の出口まで歩いていき、逆U字型の鉄製のガードの間を抜けようとする。
「あまり、一人で暗い所を歩いちゃいけないよ」
 こっちを見て苦笑された。まるで、イタズラをする子どもを見るような目で見つめられる。
「冬は日が落ちるのが早くて……すぐに暗くなってしまうから」
 長い髪がまた、背中で揺れている。
「君は怖がりみたいだしね。怖いものには近づかない方がいい」
 強く吹いた風が俺の視界を覆った。
「なあ、アンタ――――」
 五日前この公園にいなかったか、と訊こうとした俺の胸の前に手が出された。
「な、何だよ」
 斜め前にいる奴を見たが、前を凝視しているだけだ。その目線を追っていく。
「さ、」
五百メートル先に見知った顔があった。
「三千院……?」
 白の地に朱で描かれた狐の顔。笑っているようにも見える、その表情。懐かしさよりも違和感を先に感じる高校の制服。二年ぶりに見るそれに、俺は言葉を失いかけていた。
「岩蔵くん」
 紺色の袖から出ている白い手が俺の方に向けられる。青白くも見える手に、俺は、三千院の苦しみが見えたような気になった。
「……助けて」
 そう聞こえたと思った瞬間、体が勝手に動いた。駆け出して、三千院に手を伸ばす。
「三千院!」
 俺に伸ばされた手に触れそうになった。後一歩、と足を出そうとしたら、三千院の手が戻った。
「こっの、馬鹿女があ!」
 そして、その手で自分の腹を殴り付けた。ぎょっとしてその場で固まると、尚も三千院は叫びながら自分で自分を殴り続ける。
「お、おい。何してんだよ三千院! やめろ!」
 そのままにはしておけない、と手を掴む。すると、鋭い狐の目に睨みつけられた。
「何だ小童。俺の邪魔をすんのか」
「俺?」
 三千院はこんな、自分の性別を無視した話し方をする奴だったか? いや、確か昔は普通に私って言ってたはずだ。それに、さっきまでの三千院は俺のことを岩蔵って言ってた。
「……二重人格、ってやつか?」
 俺のことを小童なんて言ったコイツは、三千院じゃないような気がする。こんな冗談にならない冗談を言う奴じゃねーしな。
「離せ」
 掴んだ手を引っ張られる。が、三千院のさっきの言葉のこともあって、簡単に離すわけにはいかない。
「離せっつってんだよ、小童が!」
 それに、人に暴力を振るうような奴じゃない。自分に向かってくる三千院の拳を見つめながら俺はそう思った。やっぱり、これは三千院じゃない。痛い感触の代わりに、いいパンチの音が顔の前で聞こえた。
「人を傷つけるなと何度言えば分かるんだ、お前達は」
 三千院の拳を手で受け止めて、鋭い目で睨むのは隣の家の奴だ。
「また手前か。目障りだって何度言えば分かんだよ、手前達はよ」
「昔散々人の形を借りていた奴の言うことじゃないと思うぞ」
 苦笑しながら言うのに、三千院がニヤけた笑顔を浮かべる。
「楽だったんだよ。お前は誰にでも好かれるからなあ!」
 三千院の腕を掴んだままの俺の手を離し、背中に庇ってくる。そして、三千院に向けて掌を勢いよく突き出した。
「っと、そうはいかないぜ!」  が、三千院は後ろに跳んで避けた。まるで獣のように四つん這いになって、屋根の上に飛び移る。
「待てよ!」
 追いかけるために走り出そうとしたら、前を腕で塞がれた。
「何だよ」
「追いかけるな」
「追いかけるなじゃねーよ! あれ、何なんだよ! 五日前のあの変なのも――アンタ、何モンなんだ!」
 背中越しにそれだけ言われた俺は、思わずソイツの肩を掴んだ。が、瞬間的にその手を跳ね除けられた。
 ソイツは俺の方を恐る恐る振り返る。そして、顔を強張らせて俺から距離をとる。逃げられないようにと思って、距離を詰めるために俺は足を進めた。
「答えろよ!」
「……答えるよ」
 またあの作り笑顔になった奴に、俺は顔をしかめた。
「ただ、家に帰らないか? ここじゃあ近所迷惑になるだけだろう?」
「そ、そうだな……」
 周りを見てから頷くと、相手も頷き返した。

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