+ 異なる鳶の捕え方 +


 生まれた時から、祭はずっとお兄ちゃんといた。七つ年上のお兄ちゃん。誰よりも格好良くて、優しくて、頼りないところもあるけれど、そんな隙のあるところがすっごく可愛い。
 祭は、お兄ちゃんが大好き。どんな人よりも好き。祭が一番お兄ちゃんを愛してる。だから、祭のことも一番に愛してくれないとダメ。祭の一番はお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんの一番も祭じゃないとダメなの。
 なのに、どうして。どうして、いつも赤が祭の前をふさぐの。赤い口紅、赤いスカート、赤いハイヒール。大人の女なんて大嫌い。下品な笑顔でお兄ちゃんにすり寄って、祭を見下してくる。
 赤い着物も嫌い。薄い紫の目も、長い黒髪も、人をバカにしてるような笑顔も嫌い。あの人はきっと、祭からお兄ちゃんをとりにきた、悪い人。狐のお面をつけた人と同じ。
 きっとお兄ちゃんは、あの人のことを好きになっちゃうんだ。

「本日の稽古、終わり!」
「押忍! ありがとうございましたー!!」
 一斉に礼をした門下生達が、バラバラに道場を出て行ったり、水を飲んだり、話をしながら散っていく。それを見ながら、祭は自分のランドセルが置いてある壁際まで移動していく。
「悠介ママ、今日も綺麗ッス!」
 出入口の方から聞こえた声に、祭は足を止めて、パパッと言う。
「タオル持ってきたわよー、祭」
「わーいっ、パパありがとう!」
 柔軟剤を使ったタオルを、汗だくの顔に押し当てる。ふかふかの生地が祭の顔を包み込む。
「汗だくね」
 と父親の低い声に祭はそっと目を閉じた。
***
 パパがママを愛して、祭はママから産まれたの。
 祭のパパはとっても綺麗。祭のママはとっても強い。祭にとってのママは、周りの人にとってはパパ。祭にとってのパパは、周りの人にとってはママ。
 男の人の格好をしているママ、女の人の格好をしているパパ。ちょっと変だけど、祭はママもパパも大好き。格好なんて関係ないの。
 だって、ママとパパが愛し合ってくれたから、お兄ちゃんが産まれたの。誰よりも祭に近い位置に、お兄ちゃんをいさせてくれたの。だから、祭はママもパパも大好き。
 なのに、お兄ちゃんは遠い人に盗られていっちゃう。どうしてなんだろう。どうして、お兄ちゃんは祭から離れていこうとしちゃうんだろう。なんで、祭を一番に愛してくれないんだろう。そう、ママとパパみたいに。
 祭はお兄ちゃんの子どもがほしいんじゃないの。お兄ちゃんの心が全部ほしいの。それだけなのに、どうして?
***
「えーっ、めーくん妹ちゃんの面倒とかみてんの? 毎日?」
 兄が高校生だった頃、付き合っていた女は最低の人間だった。そう祭は思っていた。兄はその女が好きなように見えなかった。むしろ苦手に思っていたようだった。
「やだ、気持ち悪い……」
 祭を見て、そんなことを言う女が、祭は大嫌いだった。あんな奴、消えちゃえばいい。姿を見る度、考える度、思っていた。いや、今でも思っている。妹に優しくする。そんな素敵なことができる人のことを、自分の好きな人を貶す。そんな馬鹿な女は皆消えてしまえばいい。
 いや、兄のことが好きになる人も、兄が好きになる人も、全て消えてしまえばいいと思っている。兄を好きになる人も、兄が好きになる人も、自分だけでいいのに。どうしてそんな簡単なことができないんだろう。
「お嬢、お帰り」
「伊藤さんっ、ただいまー」
 友達はいい。伊藤さんは好きだ。お兄ちゃんを大事にしてくれる。お兄ちゃんを傷つけず、好かれすぎない距離で接してくれるいい人。そう祭は伊藤のことを認識していた。
「あれ? お兄ちゃんは一緒じゃないんですか?」
「ああ、岩蔵はあそこや」
 笑顔だった祭の顔は一瞬にして曇り、眉間に皺ができた。その目に映っているのは、愛しの兄と黒い影のようなものだった。
「お兄ちゃんっ、ただいまー!」
 大きな声を出しながら走って行くと、兄は振り返って自分を見る。その顔に浮かんだ笑みに、祭は泣きたいくらいにほっとした。兄の体にぎゅっとしがみつく。
「祭ちゃん、今晩は」
 そっと出された優しい声。けれど、祭の耳にはとても不快な音に響いた。
「お帰りなさい」
この人は、とても優しい、理想的な母親を具現化させたような人だ。
「……ただいま、蓮珠さん」
 そんな風に、そっと兄に寄りそうことが出来る人は、消えてしまえばいい。ママと同じ、男の格好をしている女の人。それに、この人は人間じゃない。
「二人で何してたんですかー?」
 笑顔で牽制すると、元々距離をとって会話をしていた蓮珠は、さらに榊から離れてしまう。
「世間話だ」
 ほら、先に入っとけと榊に背を押された祭は、頬を膨らませつつも二人から離れる。それでも、もう一度振り返って見ると、榊は蓮珠の腕を掴んで、祭が通ってきた道を進んでいっていた。
 唇を噛み締め、黒い背中を睨みつける。憎い憎い、自分から兄を盗っていくものが憎い。そう思うと、悔しくて涙が溢れ出てきそうだった。
 ピンク色のスカートを握り締める祭の肩を、誰かが叩いた。不機嫌も露わに振り向くと、そこには茶色の天然パーマがかかった髪をした男が立っていた。
「なに、宇治さん」
「サンタクロースのシュークリーム買おてきてん。一緒に食べへん?」
 宇治はにこやかにそう言い、左手に持っている白い箱を顔の前まで持ち上げる。
「……食べる」
 背の高い兄の知り合いを見上げた祭は、にこりともせずに答えた。

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