+ 此れはこの世のことならず +



「お邪魔します」
「うむ、入れ」
 イグサが解れ、そこかしこに汚れが付着した畳の上に古びた箪笥とちゃぶ台が置いてあるだけの簡素な四畳間であった。火生が先に靴を揃えて畳の上に上がる。
「何で戻らない。お前が此処でしなくちゃいけないこととは何だ」
「妖怪退治だ」
「妖怪、退治?」
 さっと蓮珠の顔に赤みが走った。
「ふざけるな! お前が妖怪退治なんかしなくたっていいだろうが! そんな嘘で誤魔化されると思っていんのか?」
「思っとらん。我は真剣なのだ。この京の町にあの酒呑童子が出るのだ」
 蓮珠は草履を脱ぎ揃えてから畳の間に入り、どっかりとちゃぶ台の前に座り込んだ火生の前に座った。
「そんな馬鹿なことがあるわけないだろ。酒呑童子はもう何百年も前に討伐されたはずだ」
 酒呑童子は大江山を本拠地とし、平安初期に京の都で悪行を働いた鬼の頭領である。貴族の姫君を誘拐し、自分の側に仕えさせたり、生のままで喰ったりと悪行を繰り返し続けた。そのため、帝の命により、向かった源頼光と渡辺綱率いる四天王に討伐されてしまった。
「確かに討伐はされたのう。だが、その首はどうした」
「首? 首なら不浄なものを京に持ち込んで貰っちゃあ困るから老ノ坂の道端で捨てさせたはずだけど」
「その、首だけでも復活したとしたら?」
「まさか! そんなこと、あるはずがない。何かの間違いだ」
 蓮珠は頭を振るが、相手は逆に力をこめて、
「いや、我は見た!」
 と拳を握り締めた。
「四神の結界は壊れておるだろう」
 京の都での四神相応――天の四方の方角を司る"四神"の存在に最もふさわしいとされる地形が存在する土地――は、平安京をモデルとし、青龍は鴨川、白虎は山陰道、朱雀は巨椋池、玄武は船岡山とするのが常である。だが、昭和十六年には巨椋池が干拓事業によって農地に姿を変えられてしまい、現在、その地形は崩れてしまっている。
「だからといって、そんなに簡単に復活するか?」
「我が見たのだ。ならば復活してしまったのだろう」
 それはおかしい。今更千年も前に倒した鬼がわざわざ復活してくるはずがない。蓮珠にはその目的が見当たらなかった。
「見たのはお前だけか? 他に……えーっと、弥勒とかは」
「いや、我だけだ。我は目が良いからの」
 蓮珠は目の前のものを殴りたくなってきた。そういう問題ではない。沈黙が間を漂う。ふと、急に火生が腕を掴んできた。
「怪我をしておるではないか」
「触るな、すぐに治る」
 腕を奪い返そうとするが、馬鹿力の相手からはなかなか難しい。
「いかん! きちんと治療しなくては!」
 思いがけず強い口調で言われ、蓮珠は黙った。床に放り出されてあった救急箱を引きよせ、開いて消毒液を取り出す。
「傷を見せるのだ。これだけではないのだろう?」
 蓮珠は頭を抱えながらうーだとかあーだとか声にならない音をだしていたが、しばらくすると観念し、上半身を脱いだ。火生は背中の傷を見、首を傾げさせた。
「なぜ、お主にこの傷が。これは我があの人間につけたものでは…」
「傷を引き受けたんだ」
「傷を?」
 火生が首を傾げ、話を続けようとすると、
「信憑性のないことの手伝いができるか。って言いたいとこだけど、終わらない限り帰らないつもりなんだろ」
 蓮珠がそれを遮った。
「うむ……まあ、そうだが」
「じゃ、仕方がないな。不本意だけど、手伝ってやるよ」
「おお! 手伝ってくれるか!」
 火生の荒い治療に顔をしかめるものの、何も言わずにそれを受けた。
「いいけど、終わったらちゃんと帰るって約束しろよ」
 うむと頷く相手に苦い顔をして蓮珠はごろりと横になった。
「じゃあ、もう俺寝るから。明日にしようぜ」
「いや、今日から始めようではないか!」
 火生はいきり立つが、それを冷めた目で見てすぐに目を閉じた。
「騒いだって逃げないさ。それよりも休ませてくれ。疲れたんだ」
 そう言ったきり、黙ってしまう。
「傷を引き受ける? 疲れる? 地獄から来ただけだというのにか?」
 変な鬼だのう、と火生は心の中で呟いた。

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